提訴に当たって 平成19年2月15日
一澤帆布工業株式会社(以下、「一澤帆布」という。)の経営権に関しては、ご案内のとおり、先代一澤信夫の遺言問題にからみ、世間から「兄弟間の骨肉の争い」とまで言われる争いに発展しました。 兄弟3人が協力して一澤帆布の看板を守ることができなかったのかとのご批判については、真摯に受け止め、たいへん恥ずかしいことと思っております。 しかし、平成17年12月16日に取締役を解任された一澤信三郎氏(以下、「信三郎氏」という。)は、一澤帆布に立て籠もり3ヶ月経過後の平成18年3月14日、京都地裁の決定に基づく強制執行などにより、ようやく一澤帆布の建物から退去しましたが、ミシンなどの製造機器だけでなく、原材料やカバンの製造に不可欠な型紙・仕様書・見本など全てを持ち去り、建物のみしか残されていませんでした。つまり、信三郎氏は、一澤帆布が二度とカバンの製造販売ができないようにして退去していったのです。このため一澤帆布は、休業せざるを得ない事態となりました。一澤帆布の看板と伝統を守っていくという意味でも、深刻な痛手であったと考えております。 また、私達は一澤帆布の経理内容を把握しようとしましたが、信三郎氏が会計帳簿など全ての書類を持ち去っていたため、一澤帆布の売掛金や未収入金がどれくらいあるのかすら、わからない状態でした。(なお再三にわたる要請にも関わらず、これらの書類はいまだに返却してきません。) 私達は、一日も早く一澤帆布を再開するため、信三郎氏に対し、ミシンなどの製造機器の返却を求めてきましたが、昨年10月16日の再開までには返却を受けることができませんでした。そして、裁判所での和解に基づいてようやく11月17日に信三郎氏はミシンのみを返却してきましたが、それは一澤帆布にあったミシンの全てではありませんでした。信三郎氏は、例えば三本針などの4〜5台の高価なミシンは手元に残して現在も使用していて返却せず、必要としないミシンに中古品店で買ったミシンを加えて一澤帆布に返却してきたのですが、いずれも錆だらけのミシンで使用可能な状態ではありませんでした。 また、従業員は、ミシンなどの製造機器・原材料・型紙など全てが持ち去られた一澤帆布に残っても、生活の糧を得ることなど不可能であり、信三郎氏のもとに移っていきました。 しかし喜久夫の存在が一澤帆布再開の礎になりました。喜久夫は大学在学中から父信夫と共に殆んどのカバンのデザインと製作指導をし、一澤帆布を支えて来ていました。 一澤帆布の経営権については、平成16年12月17日最高裁において信夫の遺言の有効性が認められた結果、裁判所の命令により、平成17年12月16日に開催された一澤帆布の株主総会において、信三郎氏らが取締役を解任され、その時点で決着がついていたものです。 しかし、信三郎氏は、その後も「一澤帆布の代表者」と称して居座り続け、自らの利得を図るため、一澤帆布の小切手を振り出し、自分の個人会社である有限会社一澤帆布加工所(表面的には自分の娘が代表者。以下、「加工所」という。)に3000万円を超える資金を送金していました。 このことは、信三郎氏らに対し一澤帆布の建物の明け渡しを認めた京都地裁の上記仮処分決定に、(加工所との)「契約は、信三郎氏が、自己の個人的利益を図る目的で、一澤帆布の代表者としての権限を濫用したもので無効」と判示していることからも明らかでした。 そこで、信三郎氏らが、自己の利得を図るため、権限がないのに一澤帆布の小切手を振り出していた事実を踏まえ、私たちは信三郎氏らを有価証券偽造・同行使・詐欺により、京都地方検察庁に刑事告訴しました。 これに対し、信三郎氏らは、平成17年9月30日の時点で存在した一澤帆布が加工所からもらうべき未収入金、約1億1千万円を昨年12月25日になって一澤帆布に振り込んできました。 これは、信三郎氏が今回の一連のルール違反を反省し、私達に歩み寄ろうとするものだと考えていましたところ、12月28日京都地方検察庁から、私達が告訴した事件に関し、信三郎らを起訴猶予にした旨の通知がありました。起訴猶予は、犯罪の成立は認められるが、情状酌量の余地があるので起訴しないという処分であり、京都地方検察庁が、信三郎氏らが約1億1千万円を一澤帆布に振り込んだことを反省の証として、このような処分に踏み切ったものであることは明らかでした。 しかし、この未収入金の返済は一澤帆布が信三郎氏らから受けた損害を到底購えるものではなく、そのほんの一部にしか過ぎません。 また、平成17年3月の加工所設立以降、信三郎氏が一澤帆布から加工所へ付け回した利益はきわめて大きい金額です。 先程も述べたとおり、信三郎氏が一澤帆布のミシン等ありとあらゆる物を一澤帆布から持ち去った結果、一澤帆布は約7ヶ月間にわたって休業を余儀なくされたのです。 私達がようやく一澤帆布を再開した当時、信三郎氏は、「これからは品質で競争する。」と言った旨聞き及んでいますが、このような発言は、信三郎氏が、一澤帆布のミシンなどの製造機器等全てを持ち去って、製造販売の継続を不可能とする重大な損害を一澤帆布に与えたことを全く自覚することなく、無視したものとしか言いようがありません。一澤帆布から持ち去ったものを全て返却し、そこから新たにスタートし、「一澤帆布の模造でない独自のカバン」を製造して競争すべきです。 私達は、一澤帆布のカバンを愛用してくださるお客様のことを第一に考え、その再開を目指して努力してまいりました。お陰様で、お客様・お取引先・その他のご支援を受け昨年10月16日一澤帆布の再開を果たし、現在どうにか製造販売を続けていく目途がたったところです。 私達は従来から、信三郎氏の発言内容を一方的に伝えるマスコミ報道に少なからず心を痛めてまいりました。しかし、製造販売を再開することこそ、一澤帆布のカバンを愛用してくださるお客様に応える唯一の道と信じて、私達は信三郎氏に対する反論は控え、最終的には、司法の場で明らかにする以外にないと考えてまいりました。 そして、兄弟間とは言え、信三郎氏らのとった一連のルール違反については、きちっとした清算をする必要があると考え、今回の提訴に踏み切った次第であり、皆様のご理解を得ることができればと考えております。 以上
(なお、信三郎氏の支援者が一澤信太郎を京都地方検察庁に刑事告発した「偽造私文書行使」事件についても、「遺言は信夫の筆跡である」との京都府警科学捜査研究所の鑑定により、平成18年7月26日京都地方検察庁は不起訴処分としています。平成12年3月9日付の信夫が書き残した遺言の真贋は民事・刑事ともに既に決着がついています。)
一澤帆布工業株式会社
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